福岡市動物園で一番の人気ものだった
ゾウのはな子が先月末、死んだ。
推定46歳の雌のアジアゾウ。
たくさんの人たちが、その死を悼んでいる。


 

福岡のはな子さん46歳で天国へ。

井の頭自然文化園はな子死去

「パチン。パチン」。
がらんとしたゾウ舎内に、
乾いた音が響く。
はな子の担当飼育員、福原晋弥さん(43)が、
花の長さを1本1本はさみで切りそろえていた。
はな子に手向けられたヒマワリやユリ、バラ……。
バケツに丁寧に生けた後、
ゾウ舎を見わたし、つぶやいた。
「本当にいなくなってしまった……」

はな子は1971年ごろに生まれた。
73年に市動物園にやってきてから、
ずっと人気もの。

2014年、動物の園長を決める
「どうぶつのえんちょうせんきょ」では、
来園者から一番多くの票を集めた。

福原さんが担当になったのは、13年ほど前。
「そのころはおてんばで、
感情をそのまま出していた」といい、
飼育員4人の中で最年少だった福原さんは、
鼻でたたかれたり、物を投げつけられたりした。

「はじめは怖かった。
ゾウ舎に入るときは毎回警戒していた」

カンガルーやサイ、猿山などを
担当したこともあったが、
それからはずっとはな子のそばにいた。

5年前、はな子の2年後に園に来てから
一緒にいた雌の「おふく」が死んだ。

それからおとなしくなり、
体力もだんだん弱っていった。
今年の8月28日、
ゾウ舎で尻もちをつくように転んだ。
壁に寄りかかってしか立てず、
専用のベルトを着けて立たせていた。

9月27日。福原さんが
ベルトをかけ替えようとしていたとき、
「ゴフゴフゴフ」とせき込むような声を発した。
「大丈夫か」と声をかけると、
まばたきをパチッと返してきた。
その数分後、今度は「ボトボト」と
よだれの落ちる音がした。
振り返ると、すでに息を引き取っていた。

朝一番に会いに行き、帰宅前に
「今日はどうやった? おやすみ」
と声をかけるのが日課だった。
福原さんにとって初めて長く担当した相手。
この1カ月、ほかにできたことはなかったのか……。
「今も後悔しかない」と唇をかみしめた。
朝日新聞デジタルよ

JR吉祥寺駅前に、井の頭自然文化園のはな子さんの銅像

吉祥寺駅はな子の銅像

去年、国内最高齢で死んだ
ゾウのはな子の銅像が
東京のJR吉祥寺駅前に設置された。

東京・武蔵野市の
井の頭自然文化園で飼育されていた「はな子」は、
1949年に戦後初めて
日本にやってきたゾウとして人気を集めた。
しかし、去年5月、69年の生涯に幕を閉じた。

多くの人々に愛された「はな子」をしのんで5日、
公園から近い吉祥寺駅の駅前広場に
全長2.5メートルのはな子の銅像が
お披露目された。

はな子が右前足を上げながら
鼻を上げて挨拶する姿を表現した銅像は、
全国からの寄付や、
はな子のふるさとタイからの
募金をもとに製作されたという。

馬之助の感想

象は群れで暮らす生きものなのに
単体で暮らすことを余儀なくされ
かわいそうだったと思うわ。
人のため尽くしてくれてありがとう。
親が死んでも泣かなかったのに
象が死んで涙がでるわ。
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これはドラマにもなったわ。
あたしは好きな本よ。

 




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