東京・上野のジャイアントパンダ、オスのリーリー(19)とメスのシンシン(19)が
2024年9月29日、中国に返還された。

ともに19歳と高齢で、しかも高血圧なので、生まれ育った環境で過ごすのが望ましいとして、返還されたが、長く日本で暮らし慣れ親しんだ日本を離れ、故郷とはいえ、高齢の身で言葉を忘れているであろう中国に帰るのは辛くないかと、心配になる。



初代パンダは贈与だった

パンダが日本に初めて来たのは1972年だった。日中国交が正常化したことを記念して、オスの「カンカン」とメスの「ランラン」が中国から来た日は大きなニュースになった。

熱狂的パンダファンの黒柳徹子さんが空港まで出迎えに行った様子もテレビでやってなあ。

上野動物園はパンダ見たさに長蛇の列ができ、何時間も並んでも、数秒というありさまで、疲れに行くだけだったと思う。

メスのランランは1979年、自然妊娠し、二世誕生を期待されたが妊娠中毒症で亡くなり、オスのカンカンは、1980年6月30日に心不全で亡くなった。

この子たちは貸与ではなく、日中国交が正常化を記念した贈り物だった。当時の日本は、パンダ飼育に精通している人がいなかったことが原因なのか、あっという間に亡くなってしまった印象だった。

その後、次々パンダが貸与される

1994年 和歌山県のアドベンチャーワールド
2000年 神戸の王子動物園
2011年 オスとメスのペアが上野動物園

これらのパンダはみな、貸与。贈与ではない。レンタル料金を支払って飼育してきた。その分、動物園に客が殺到するのでペイするという計算だったんだろう。中国でパンダの数が減り、ワシントン条約で海外と取引が出来なくなったので貸与となったらしい。

アドベンチャーワールドの永明は、雌の発情期を見逃すことなくアプローチする能力を持っていたようで、永明が高齢になってからも、アドベンチャーワールドでは次々と子供が生まれた。

が、その永明も、2023年にはその子供たちと共に中国に返還された。

「神戸のお嬢様」として地元の人に愛されたタンタンは、中国に返還される前に高齢による心臓病で亡くなった。
飼育員さんが、心臓に病気がある状態で中国に帰ることを心配していたので、看取ってあげられて悲しいがそれでよかったのかもしれない。

日本語に反応する帰国したパンダ

犬も猫も飼い主が変われば慣れるまで時間がかかる。動物にも心がある。ましてや言語が変わればわけがわからないだろう。

人間も高齢になって言語の違う国に行けば、言葉を習得するのに苦労するだろう?

中国の方がパンダ飼育に慣れているとはいえ、可哀そうでたまらない。


おすすめの記事